息子の涙と「先にやってきたあっちが悪いじゃんか!」という叫び
先日、息子のサッカーの練習試合(TRM)を観戦していたときのこと。
対戦相手は、ピッチに入るなり信じられないような悪質なプレーを繰り返すチームでした。
ドリブルで抜かれそうになれば迷わずユニフォームを引っ張り、平然と足を蹴ってくる。コーナーキックのゴール前、ポジション取りの最中には審判の死角を突いて肘で小突く。
練習試合という、お互いの技術を試すはずの場で、なぜそこまでトゲトゲした空気をまとう必要があるのか。見ていて本当に胸が痛む光景でした…。
うちのチームの子どもたちは、普段そんな汚いプレーはしない。当然、みんな驚いていたし、何より激しい怒りと動揺がピッチを支配していった。
感情を抑えきれずにやり返してしまう子がいた。
それを見たうちのコーチがすかさず「そんなことやっちゃダメだ。プレーで見返すんだよ」と一喝。
その瞬間、一人の選手が悔し涙をこぼして…
「だって、向こうから先にやってきたんだよ!」
「先にやってきたあっちが悪いじゃんか!」
叫んだ子どもの気持ちは、痛いほどよく分かる。先にルールを破り、悪意をぶつけてきたのは相手だ。なぜやられた僕たちが我慢しなきゃいけないんだ。理不尽じゃないか。
その涙を見た瞬間、僕の脳裏には、30年以上前の強烈な記憶が鮮烈に蘇っていた。
30年前の中1の僕が、荒くれチームに流し込んだ「復讐の1点」
中学1年生のときのことだ。他県のチームと練習試合をした。
相手は体格も上の2年生主体。対するこちらは1年と2年が半々の急造チームだった。
彼らのラフプレーは、今思い返しても本当に酷かった。後ろからの危険なタックル、クリアするフリをして故意にこちらの足を思い切り蹴る。最悪なのは、そんな汚いプレーをしながら、彼らがヘラヘラと笑っていたことだ。
熱くなったうちの先輩たちは激怒していた。1年の僕らは、正直怖かった。何をされるか分からない恐怖と、体格差の圧迫感に足がすくみそうだった。
でも、僕らは絶対に、怯まなかった。
相手の汚さに付き合うことなく、僕らは僕ら自身のサッカーを、淡々と貫き通した。
ラインを超えて相手のスローインになったボールが、遠くへ転がっていったときのこと。近くにいた僕は、普通にそのボールを拾いに行き、相手選手に手渡した。
先輩からは「そんなの取りに行かなくていい!」と怒鳴られたけれど、僕は取りに行った。相手と同じ土俵に立ってしまう感じが嫌で、いつも普通にやることを普通にやった方が良いと思ったからだ。
試合は1対1の同点に終わった。
混沌としたピッチで、うちの唯一のゴールをもぎ取ったのは、まだ体格が小さい当時1年生だった僕だ。
なぜ決められたのか。
ピッチの中で、僕が一番冷静だったからじゃないかと思う。
相手チームが感情的にガリガリと荒いプレーを続け、うちの先輩たちも怒りで視野を狭くしている中、ゴール前に一瞬、ぽっかりとボールがこぼれてきた。
相手のセンターバックとキーパーが、血相を変えて僕を潰しに突っ込んでくる。時間がいっきにスローモーションになる。僕は一瞬だけ切り返しを入れ、狂気の中で完全に逆を突いて、無人のネットへさっとボールを流し込んだ。
「ざまあみろ」という感じでした。
力づくの暴力や嫌がらせなんかより、冷徹な技術と判断で相手を無力化することこそが、サッカーにおける最高に美しく、残酷な復讐だ。

それと同時に、僕は心から思った。
「二度と、こんなリスペクトのない不健全なチームとは試合をしたくない」と。
少年サッカー界の権威・池上正氏が鳴らす、勝利至上主義への警鐘
なぜ、子どもたちのピッチにこれほどまでの暴力的な空気が持ち込まれてしまうのか。
のべ60万人以上の子どもを指導してきた少年サッカー界の権威・池上正さんは、メディアや著書の中で、日本の育成年代にはびこるこの問題について強い警鐘を鳴らしている。
ピッチで肘を出したり足を引っ掛けたりする子ども自身が、生まれつき悪いわけではない。背景にあるのは、大人の「行き過ぎた勝利至上主義」だ。
「目先の勝ち負け」ばかりが優先され、指導者がそれを「球際が強い」「闘争心がある」と容認・推奨したり、親が過剰に煽ったりしてしまう。その大人の価値観と歪んだ評価の目が、子どもたちを暴力的なプレーへと走らせている。
目先の試合には勝てるかもしれない。しかし、大人がラフプレーを容認した代償は、のちに子どもたちの未来を根こそぎ奪うという、あまりにも重い形で跳ね返ってくる。
池上さんがズバリと指摘するのは、【認知と判断】というサッカーの本質的なインテリジェンスが育たなくなるという致命的なリスクだ。
サッカーで最も重要なのは、「周囲の状況を見て、頭で考えて、最適な選択肢を決定する」プロセスだ。しかし、強引に手を出したり、相手を削ったりして力ずくで止める悪癖がついた子どもは、相手を観察し、スペースを見つけ、正しいステップワークで対応するという「守備の個人戦術」を学ぶ機会を、自ら放棄してしまうことになる。
身体が小さく、技術もないジュニア年代のうちは、暴力的なアプローチで相手をビビらせれば通用するかもしれない。
だが、高校や大学、その上のハイレベルなカテゴリーに行けば、そんな小細工は1ミリも通用しなくなる。フィジカルの差も埋まる。審判の目も厳しくなる。彼らは「自分で見て、考えて動く」という頭脳が完全に抜け落ちているため、ピッチの上で何をすればいいのか分からない選手になってしまうのだ。
さらに残酷なのは、ピッチ外の未来だ。
日常的に「目的のためならルールを破ってもいい、他者を傷つけてもいい」という歪んだ成功体験を刷り込まれた子どもは、サッカーを離れた社会の人間関係でも同じトラブルを繰り返すようになる。ルールやリスペクトを軽視する選手は、プロのスカウトや優秀な指導者からも「一発退場で試合をぶち壊すリスクが大きすぎる」と見放され、やがてどこへ行っても本当の信頼を得られず、最後には孤立していく。
大人が目先の1勝を欲しがった結果、子どもたちの可能性の芽をすべてドブに捨てさせている。この理不尽な現実を、僕たちサッカーに関わる大人は絶対に放置してはいけない。

では、僕たちサッカーに関わる人間は、この理不尽な現実とどう向き合い、子どもたちを導いていけばいいのだろうか。
(後半へ続く)


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