小学生のジュニアサッカーの現場に行くと、時折、子どものなかに大人が混ざっているかのような圧倒的な体格差を持つ「エース」に出会うことがある。
相手を力でねじ伏せ、スピードでぶち抜き、強烈なキックでゴールを量産する姿は、指導者にとっても保護者にとっても、チームに勝利をもたらしてくれる頼もしい存在そのものに見える。

しかし、ここにジュニア年代特有の、非常に深い「罠」が潜んでいる。
今、目の前にある勝利や活躍は、「サッカーの技術や戦術的な判断」で得たものなのか、それとも単なる「成長期の発育差」によるものなのか。ここを混同してしまうことが、育成における最大の落とし穴なのだ。
少年サッカー指導の権威である池上正氏も、この「体格差・身体能力への依存」に強い警鐘を鳴らしている。池上氏は、「小学生の頃に体が大きくて勝てていた子が、中学・高校になって周囲の体格が追いついた途端、急に勝てなくなるケースが非常に多い」と指摘する。
周囲の大人たちが「今のサイズ感と結果」だけで未来のポテンシャルまで判断してしまうと、選手本人もその優位性に甘え、本当に身につけるべき技術や状況判断を磨く機会を、自ら手放してしまうことになる。
実録・体をぶつければ勝てていた「エース」が直面した現実
実際、私が小学6年生の時、まさにそんな「エース」が率いる強豪チームと対戦した。
彼の身長は、小学生にしてすでに170センチ近くあった。ひとたび彼にパスが渡ると、まるで戦車のようにドリブルで突進してくる。こちらがボールを奪いに行こうとしても、圧倒的な体躯と筋力ではじき返されてしまう。キック力もケタ違いで、遠目からポーンとライナー性のシュートを打たれるだけで、背の低い小学生のゴールキーパーの手は届かなかった。

彼はいつも、体格の利だけを押し出すプレーで得点を量産する、絶対的なヒーローだった。周囲の大人たちも彼を絶賛し、その強引なサッカーを肯定し続けていた。
だが、子どもたちの体格差は成長とともに、確実に、そして急激に縮まっていく。
私たちが中学生になり、周囲の身長が160センチ後半から170センチ近くまで伸びてくると、彼とのサイズ差はほぼゼロになった。一方で、彼はその後あまり身長が伸びなかった。
その瞬間、かつて彼が誇っていた肉体的なアドバンテージは完全に消滅した。
スピードもなくなり、あれほど恐ろしかったドリブルは、私たちのディフェンスに全く歯が立たなくなっていた。ぶつかってもびくともしない相手を前にした時、これまで磨いてこなかった足元の技術や、独立した判断力の引き出しが「空っぽ」であることに、彼は初めて気づいただろう。
足元の練習や走る練習を地道に積み重ねてきた私たちの前で、かつてのエースは静かに輝きを失っていった。
親たちに最優先で知ってほしい「5年後の大逆転」
ここで私が親御さんたちに最優先で知ってほしいのは、「エースが落ちていく」というネガティブな話ではない。その「真逆」にある、いま体格や筋力のせいで目立たない子たちの未来についてだ。
小学生年代の「体が大きい」「足が速い」というアドバンテージは、この先のわずか5年ほどの間に、ゆうに逆転される。ということは、いまピッチでフィジカル差に押し込まれ、ベンチを温めていたり、思うように活躍できずに悔しい思いをしたりしている子には、「ここからグンと伸びていく可能性がめちゃくちゃに詰まっている」ということだ。

発育がゆっくりな子どもは、今この瞬間に、身体能力に頼らない「生き残り戦略」を必死に磨いている最中なのだ。相手に触られる前にパスを出す、相手の逆を突く。そういう工夫を重ねているステップは、数年後、体格が追いついた時に誰も追いつけない最強の武器になる。
その大事な芽を、目先の結果が出ないからといって、大人が焦って摘んでしまうことほどもったいないことはない。
なぜ親は応援席で「冷静」でいられないのか?
とはいえ、頭では分かっていても、いざ試合が始まれば冷静でいられなくなるのが親心だ。

どのチームの応援席に行っても、「速くイケー!」「なにもたもたしてんの!」「なんで奪われるの!」「もっと強くあたれ!」という叫び声や悲鳴が飛び交っている。我が子への思いが強すぎるあまり、どうしても目先の一喜一憂に飲み込まれてしまい、冷静にゲームを見ることなんてできなくなってしまう。
「本当は見守るべきだと分かっているけれど、我が子が削られたり、チャンスを逃したりするとつい声が出てしまう」
そんな親御さんたちの切ない気持ちも、痛いほどよく分かる。自分の子どもが可愛ければ可愛いほど、ピッチの熱量にシンクロして冷静ではいられなくなるものだ。
では、その強すぎる熱量をどうコントロールし、どう子どもの未来を守るために還元すべきなのか。親が「一歩引いて冷静になる」ための具体的なアプローチを提案したい。
我が子の未来を守るために、親が冷静さを取り戻す3つの技術
① 応援席での「タスク」をすり替える(ビデオ・メモ係になる)
感情的に叫んでしまうのは、ピッチのボールの動きだけを「ただ見ている」からだ。それなら、あえて自分に別の任務を与えてみよう。
スマホやビデオカメラで動画を撮ることに集中するのもいいし、あるいは「今日、我が子が意図を持ってチャレンジしたプレーを5つメモする」というタスクを自分に課してみる。これだけで、脳のスイッチが「勝敗のハラハラ」から「子どもの認知・判断の分析」へと一気に切り替わる。
② 見るべきポイントを「結果」から「意図」に変える
足が遅くて追いつかれ、ボールを奪われたという「結果」だけを見れば「何をもたもたしてんの!」と怒りたくなる。
しかし、そこで見るべきは「奪われる前に、相手の逆を突こうと顔を上げてパスコースを探した(あるいはフェイントを入れようとした)か」という「意図」の部分だ。池上氏が重視するこの「自分で周りを見て、判断しようとした形跡」に目を凝らすと、失敗したプレーの中にこそ、5年後に大化けする絶対的な種が隠れていることに気づけるはずだ。
③ 試合後の言葉がけを「尋問」から「肯定と傾聴」に変える
試合後に「なんであそこで奪われるの?」「もっと強く行きなさい」といった、今の筋力差を責めるような言葉は絶対にNGだ。
親がかけるべきは、「結果は失敗したけれど、今あそこを見てパスを出そうとしたよね。あの狙い、すごく良かったよ」という、本人の思考プロセスを認める言葉だ。
池上氏のチームでは、たとえ大敗した試合の後でも、子どもたちは「今日はワンツーが何回できた」と前向きな事実を自分で見つけて口にするという。親が「もっと頑張れ」と上から被せるのをやめ、「今日はどんなところが上手くいった?」「あのプレーはどういう狙いだったの?」と問いかけ、子ども自身の前向きな気づきをじっくり聞いてあげること。それだけで親のイライラは消え、子どもの自己肯定感は劇的に高まる。
10年後のピッチで生き残るために
どれほど体が大きく、今ゴールを量産していようとも、発育の優位性はいつか必ず平らになる。逆に、今は小さくとも地味に自分で考えて積み重ねている子のステップは、数年後に誰も追いつけない武器になる。
親がやるべきことは、現在のサイズや目先の勝敗に目を奪われることではない。彼らが10年後のピッチでも生き残れるだけの「自分で考える力」と「確かな技術」を、今この瞬間に仕込み、信じて見守ることだ。

目の前の勝利という甘い誘惑を振り払い、本当の意味で子どもの未来を守るために。私たちは「フィジカルの罠」に、決して落ちてはならない。

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