その「あいさつ」の向こう側に、何が見える?

“見る目”

テレビの仕事をしていると、
ときどき、アナウンサー採用の面接官を任されることがあります。
きらきらした夢を抱いた若者たちが、
何百人も、僕の目の前を通り過ぎていきます。

みんな、一生懸命です。
原稿を読む練習を何千回もして、
カメラの前でどう笑えばいいか、研究し尽くしてやってくる。

でもね。
僕ら「作る側」の人間が、最後に見ているのは、
実は、そんな「用意された正解」じゃなかったりするんです。

「REC」ボタンの指に、その人が映る。

今の時代、最初の審査は「自撮り動画」です。
スマホで自分を撮って、送ってもらう。
そこで僕が真っ先に見るのは、原稿のうまさじゃありません。

たとえば、動画の最後に、
「REC(停止)」ボタンを押しにくる自分の指まで、
うっかり映像に残したまま送ってくる子がいます。

「道具がiPhoneだから」じゃないんです。
その「詰め」の甘さ、編集のガサツさに、
その人の「生き方」が、ふっと透けて見えてしまう。

手の挙げ方、目線の配り方、部屋の片付け方。
「映り」というのは、不思議なもので、
その人の「隠しきれない地頭と性格」を、
残酷なほど正確に、あぶり出してしまうものなんです。

桜の楽園を、言葉でつくる。

リモートでの面接になると、僕らはちょっとした「意地悪」をします。
「いま、架空の桜の名所にいます。リポートしてみて?」
台本のない、無茶振りです。

そこで、ハッとするような子が、たまにいます。

「360度、淡いピンクの花びらが広がっています」
「東京ドーム3個分の広さに、1万本の桜が咲き競っています」
「桜を見ている人たちのまなざしが、まるで大切な人を想い出しているようで……」

そんなふうに、
「引きの画(数字)」と「寄りの画(心)」を、
とっさに言葉で編み上げられる。

それは、技術じゃない。
ふだんから、世界をどれだけ「丁寧な解像度」で見ているか。
道ゆく人の気持ちに、どれだけ「想像力」を働かせているか。
その人の「OS(中身)」そのものなんです。

ペットボトルの飲み方と、扉の向こう側。

そして最後は、あこがれのスタジオでの面接。
そこで、僕が忘れられない子がいます。

ルックスも完璧。原稿も秀逸。時事問題もスラスラ答える。
文句なしの「エリート」でした。

でも、彼女は落ちました。

なぜか。
それは、控室で見せた「裏側」が最悪だったからです。

扉を開けてくれたスタッフに、「ありがとうございます」が言えなかったから。

面接直前の緊張で目を合わせることもできなかった。
このほか、いくら優秀な子でもペットボトルの飲み方が、乱暴な子も。

自分を支えてくれる裏方さんですよね。挨拶も、感謝の言葉も、目線を合わせない。なぜ…。

視聴者は、テレビを通して「その人」を見ます。
「この人、いい人だな」「信頼できるな」と思ってもらえるかどうか。
それがアナウンサーにとって、一番大事なこと。

どんなに優秀でも、「一緒に仕事をしたい」と思えない人を、
僕らは、プロの世界に招き入れることはできません。

少年団のグラウンドで。

これって、サッカーの少年団でも、まったく同じだと思いませんか。

コーチへの挨拶。
道具の扱い方。
片付けを手伝ってくれる保護者への、ちょっとした会釈。

いま、河川敷で「当たり前」にやっているその振る舞いが、
10年後、大人になった時の「度胸」や「品格」になる。

「上手な子」が、必ずしも「選ばれる子」ではない。
それは、プロの現場でも、少年団のグラウンドでも、
驚くほどよく似た、ひとつの真実なんです。

さて。
明日の練習、息子はどんな顔をしてグラウンドに入るかな。
僕は、そんな彼の「背中」を、
カメラを回すような気持ちで、そっと見守ってみようと思っています。

takeisan

ギャラクシー賞監督で現役のテレビディレクター。アナウンサーなどの採用面接官も務める。週末は8歳の息子を追う「少年団パパ」。独自の観察眼で、少年団サッカーと将来の「選ばれる力」の意外な関係をドキュメンタリー風に綴ります。新連載:原爆の謎を追いかけて 公開中

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