【パパが子どもに話す、ちょっと不思議な話】④大野せんせい

パパが子どもに話す、ちょっと不思議な話

今日はね。

お化けの話じゃない。

妖怪の話でもない。

でもパパにとっては、

今でも思い出すと少し不思議な気持ちになる人の話。

 

大野先生という先生の話だよ。


大野先生は何万回も同じ話をした

パパが小学5年生から中学2年生まで通っていた塾に、

大野先生という先生がいた。

通っていた友達はだいたい10人くらいだったかな。

 

その頃すでに60代だったと思う。

体が大きくて、

声も大きくて、

とにかく豪快な先生で、1人で塾を経営して運営していた。

大野塾に通うとみんなみるみる成績があがった。

99%くらい公立の進学校の高校に合格していた。

 

ただ、

授業より有名だったものがある。

 

大野先生の武勇伝だ。

 

大野先生は子どもの頃、

いじめられっ子だったらしい。

 

泣き虫で、

諦めが早くて、

精神的に弱くて、

いつも親にすがって泣いているような子どもだったという。

 

それを見た親が、

「このままじゃこの子は生きていけん」

と思ったらしい。

 

そこで柔道をやっていた親戚の家に預けられた。

 

毎朝5時に起きる。

身の回りのことは全部自分でやる。

大野先生が泣き始めると、ぶん投げられて。家の外に出されたらしい。ザ、スパルタ。

食事の準備もできるだけ自分でやる。

洗い物も自分でやる。

周囲への感謝を忘れない。

 

そういう生活を続けながら柔道を教えてもらい、

最後はいじめっ子を見返した。

 

この話を、

パパは何回聞いただろう。

 

100回は軽く超えている。

 

1000回かもしれない。

 

大野先生に言わせれば、

きっと何万回だ。


長いよ…💦

柔道だけじゃない。

 

強くなると相手を見返すことができると学んだ大野先生は

高校だったか大学だったか、

今度はボクシングを始めた。

 

するとめちゃくちゃケンカが強くなったらしい。

 

そうなると、

地元のチンピラみたいな人たちに目を付けられる。

 

そして、

「この辺で一番強い奴を決めよう」

みたいなことになったという。

 

相手はどこかの学校の柔道選手。

 

駅前で殴り合う。

 

蹴り合う。

 

ものすごいケンカになったらしい。

 

警察が来て、結果は引き分け。

 

そしてお互い、

「こんな強い奴は初めてだ」

となって友達になった。

 

そういう話を延々とする。

 

国語の授業だったはずなのに、

いつの間にか柔道とボクシングの話になる。

 

それで終わらない。

 

ある日なんて、

土曜日の午前10時から話し始めて、

終わったのが午後4時だった。

 

パパは今でも思う。

 

あれは授業じゃない。

 

独演会だった。


ビンタとゲンコツの塾

大野先生は厳しかった。

 

毎回テストがある。

 

10問くらい。

 

1問でも間違えると、

ビンタ。

 

あるいはゲンコツ。

 

しかも昔ボクシングをやっていただけあって痛い。

 

本当に痛い。耳鳴りがする。

だから、近所の悪ガキみたいな子たちもけっこう来ていた。

「大野先生にお願いすれば何とかなる」って親たちがけっこういたのよ。

実際に、悪ガキは勉強してこない。

もうボッコボコにされてたね。

 

テストで全問正解なら合格。

 

合格率に合わせて、Aクラス、Bクラス、Cクラスみたいな評価もされていた。

 

ただ不思議なことに、

教室はごちゃまぜだった。

 

みんな同じ部屋にいる。

 

だから、

頭のいい子も悪い子もいた。

 

そして、

みんな同じようにゲンコツを恐れていた。


怖いのに人気者だった

それでも、

不思議だった。

 

あれだけ怖いのに、

子どもたちは集まった。

 

大野先生は手先が器用だった。

 

吹き矢とか、射的とか、懐かしい遊び道具を手作りでつくってくれたのさ。

手作りのビリヤードもあって、これがめちゃくちゃ面白かった。

 

休みの日なのに、

友達とわざわざ塾へ行って遊んだ。

大野先生も一緒に遊んでくれて、パパたちが遊ぶ姿を嬉しそうに見ていた。

 

ビリーヤードは心理戦でもあるし、技術も必要だし、

毎回熱戦になったよ。

やっぱり強い人は強くて、落ち着いてクールな人。

負けると悔しかった。

 

本当に悔しかった。

 

涙が出ることもあった。

 

今思うんだ。

 

なんであんなに夢中だったんだろう。

 

なんであんなに繊細だったんだろうね。


誰もやりたくなかったアレ

大野先生は旅行が好きだった。

 

温泉。

 

観光地。

 

先生の車に5人とか6人とか乗せて連れて行ってくれる。

 

でもね。

 

みんなが嫌がっていたことがあるんだ。

 

写真撮影。

 

大野先生は若い頃、

めちゃくちゃ格好良かったらしい。

 

日活の俳優に間違われたこともあったそうだ。

 

だから写真がね、ざ・昭和だったんだよね。

大野先生は写真が大好きでね、行くとこ行くとこでめっちゃ写真撮るのよ。


そして、パパたち生徒にいろんなポーズをとらせて撮影するわけ。
そのポーズのリクエストがやばかったのよ…。

 

港の碇をつなぐ鉄杭(係船柱と呼ぶらしい)に片足を乗せて、

遠くを見てぇ~♪

 

友達同士で肩を組んで海を見る。抱き合って夕日を見つめてぇ~♪。

 

後ろの友達が前の友達の肩に手を置いて、

もう片方の手で太陽を指差す。

 

二人で見つめるのはそう!未来だぁー♪

 

そんな感じ。

 

でもその頃は平成だ。都内ではギャルもいたし、裏ピース、eggポーズ、あご下ピース、敬礼ポーズ、ガオガオポーズもあるわけさ。

 

観光地には人が大勢いる。同年代の女子もいる。

 

その中でやらされる。

恥ずかしい。

 

とにかく恥ずかしい。

これが学生服のままで旅行に行った時とかは最悪だったよ…。

やばいよね、これ。

マジでやらされたからね。

だから照れ笑いしてしまう。

 

すると大野先生が静かにキレる。

 

「俺が…せっかく旅行に連れてきてやってるのに」

 

「なんでふざけた顔をするんだ!!!」

 

そして後日の授業でネチネチ言われる。

 

だから正直、

パパはあまり旅行には行きたくなかった。気疲れする。


心がない人間

パパは大野先生に、

よく言われていた。

 

「お前は心がない人間だ」

 

嫌だった。

 

ものすごく嫌だった。

 

心はある。

 

ちゃんとある。

 

でも怖くて言い返せなかった。

 

一度、

あの長い武勇伝の日だった。

 

もうお昼も過ぎている。

 

お腹が減った。

 

本当に減った。

 

それで一瞬だけ、

 

「ああ腹減った」

 

みたいな顔をしてしまった。

 

すると先生が見逃さなかった。

 

さすが元ボクサー。

 

「お前!」

 

「俺の話がつまんねーのか!」

 

「こんだけためになる話をしてるのに!」

 

「話している相手への気遣いとかそういう心はないんか!」

 

と大激怒。

 

ようやく授業が終わった。

 

みんなホッとしていた。

 

すると最後に大野先生が一言。

 

「腹減ったなクソ!」

 

 

いやいや。

 

それはこっちのセリフである。


ガンになった理由

大野先生は後にガンになった。

 

でも本人は納得していなかった。

 

「俺がガンになるわけがない」

 

そう思っていたらしい。

 

そして、

なぜ自分がガンになったのか真剣に考えた。

 

その結果、

ある結論にたどり着いた。

 

昔、

旅行先で寂れた定食屋に入った。

 

そこにいた店主のおじいさんが、

自分は末期ガンだと言ったそうだ。

 

もう病院にも行かない。

 

最後までこの店で生きるんだと。

 

そして大野先生は言った。

 

「あの時だ」

 

「あのジジイがお冷にツバを入れたんだ」

 

「そして俺にガンをうつしたんだ」

 

 

本気だった。

 

 

パパたちは思った。

 

いやいや。

 

それは違うと思う。

 

でも先生は本気で悔しがる。

 

 

「くっそー!」

 

「あの時気づいていれば!」

授業で使うホワイトボードをドン!と叩く、そして教室のはるか後方を、100m先くらいを見つめる。

 し~んと静寂が押し寄せた…かと思ったら。

 

急に笑い出す。

 

 

「ふっふっふっふっ」(ドフラミンゴのように)

 

「そうか…神よ」

 

「もう俺を呼ぶのか」

 

「この世では十分生きたということなんだな」

 

「わーっはっはっはっはっ!」

 

 

どうしたどうした。ざわつく教室。

 

 

大野先生は最後まで大野先生だった。


お葬式の日

そして大野先生は亡くなった。

 

パパが中学2年生の時だった。

 

入退院を繰り返していた。

 

でも、

あれだけ元気だったから、

また戻ってくる気がしていた。

 

塾も再開する気がしていた。

 

でも戻ってこなかった。

大野塾が閉鎖されて、パパの成績は少しずつ落ちていった。

受験に本格的に備える学年だったから、親たちは心配していた。

でも、パパは他の塾には行かなかった。行ったのは冬期講習くらい。

大野塾で学んだから大丈夫だろうという不思議な自信はあったのさ。

 

お葬式にはたくさんの人が来ていた。

 

ボッコボコされた昔の教え子たち。その親たち。

好きだった人もいたと思う。

 

嫌いだった人もいたと思う。

 

でもみんな来ていた。

 

そこで今でも忘れられない光景がある。

 

部屋の隅にいた奥さんだ。

 

小さく肩をすぼめて、

ハンカチで涙を押さえていた。

 

その姿だけは今でもはっきり覚えている。

 

あれほど豪快な人がいなくなった。

 

奥さんにとってはずっと一緒にいた、とっても大音量な人がいなくなった。

 

これからどうするんだろう。

 

子どもながらに、

 

「大野先生、奥さんかわいそうだよ」

 

はやいなって……思った。


パパが今思うこと

あの写真のポーズは今でもやりたくない。

 

武勇伝も長すぎた。

 

ゲンコツも痛かった。

 

心がない人間と言われたのも嫌だった。

 

でもね。

 

何十年も経った今でも、

こうして思い出す。

 

そして君たちが生まれて、

ママがいて、

 

パパは思う。

 

できるだけ長く生きたいなって。

 

大野先生みたいに豪快にはなれないけれど、

 

君たちが大人になるまで、

できればその先も、

ずっと見ていたいなって。

 

takeisan

ギャラクシー賞監督で現役のテレビディレクター。アナウンサーなどの採用面接官も務める。人口40万の市大会3位のMF。小中高の教員資格。週末は8歳の息子を追う「少年団パパ」。独自の観察眼で、少年団サッカーと将来の「選ばれる力」の意外な関係をドキュメンタリー風に綴ります。

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